2006年 08月 11日
「許す」ということ
以前にも 「今日、自分を少し変えてみる」-宝彩 有菜・著-
から引用したコトがありますが、
とても染みる言葉で綴られている本なので
図書館に返すその日までは(実はとっくに延滞申し込みをした~★)
自分でも憶えておきたいページを書き留めていきたいと思います。(^_^)
「今日、自分を少し変えてみる」 -宝彩 有菜・著-
人間関係から自由になるには、どうしたらいい?
-握りしめているものを手離せば相手も自由になりますが
何よりも自分が自由になります-
何かを「欲しい」と一旦思ったら、マインドは優秀ですから、
「まぁ、いぃかぁ」といい加減な妥協をしません。
「欲しい、欲しい」
とその思いを離さなくなります。
でも、結局その思いに捕まっているのは自分自身です。
思い切って放しましょう。
すると何よりも自分が自由になります。
同じように、誰かを「許せない」と一旦思ったら、
マインドは優秀ですから、
「まぁ、いぃかぁ」といい加減な妥協をしません。
「許せない、許せない」
とその思いを離さなくなります。
でも、結局その思いに捕まっているのは自分自身です。
許しましょう。
すると何よりも自分が自由になります。
私、これを超・体感、実感したんです。だからうなずける。
ウチの父母は銀婚式を終えてから(つまり熟年)離婚したのだけど、
めちゃめちゃ父親っ子だったはずの私が、
母から聞かされる父への恨みつらみ、愚痴にすっかり洗脳されて
一緒になって父を責めまくりました。
いくら父親っ子とは言っても、客観的に見て「父が母に苦労をかけている」
コトくらいは分っていたので、恩を仇で返すような父の裏切りは許せなかったというか。。。
「かわいさ余って憎さ百倍!」状態ですね。父親っ子だったからこそ・・・。
けれど、ある機会に恵まれて、
「父親にしてもらった事、逆に・自分が父親にしてあげた事」を振り返るに至り、
もんのすご~・・・く意識がひっくり返ったんです★
それはそれは深い親の愛を思い出せた、ってゆーか、気付かされた。
母と一緒になって恨む事で自分を支えていたと思っていたけど、
夫婦の問題は あくまで夫婦の問題であって、
生まれてからずっと・父が私に注いでくれていた愛情には何の関係も無い*
自分が思いだせるだけの「してもらった事」でさえこんなにあって、
見えないところも含めるとどんなに大事にしてもらっていたことか(T_T)
なのに、夫婦間が破綻したからと言って、母だけの肩をもって一緒に責め罵った。
恨まれて当然の父親だと信じて疑わなかった。
父はどんなに悲しかったでしょうね***
母に対しては”ひどい旦那”だったけれど、子煩悩な人だったし・・・
「確かに嫁さんにはひどい事ばかりしたけど、
かわいがっていた娘にもこんな目を向けられるのかー・・・」とか思わせたんだろうな×
そんな風に 違った角度からの見方に気付くと、
自分が父から「してもらった事(与えてもらっていた事)」に気付き、
恨み心がスー…っと氷解していった。長年の恨みだったのに、本当にスー…っと。
と同時に、自分を縛っていた鎖、重い重い鎖が「ガチャン!」と外れる感覚がした。
誰でもない、自分で作った「恨み心」で自分を縛っていた事にも気付いた。
ぞぉ~・・・っとした(>_<)
縛っていたものに気付いたからこそ解る事だけれど、
人を恨む思いとは、何と大きな負のエネルギーなんだ!?と!
開放されたからこそ、ラクになったからこそ それにも気付けるんです!
このまま気付かずにいたら 実の父親を恨んで恨んで、
それはそれは無駄なエネルギーを使い続けて自分を疲れさせるところだった・・・×
ほっんと~・・・に!ぞぉっとした!!
だから この本に書いてあった、この箇所も納得しまくりなのですよ。
「だって あっちが悪いんだから!私は正しいんだから!」と思っていたとしても、
やっぱり誰かを憎む心、恨む心は不毛なんだ。
その念は相手にも届いてしまうから もちろん相手に負担になり、
誰あろう、思いを発する自分自身をも傷つけ続けるのよね・・・正当化しようがしまいが。
恨み心で恨みは解けない、これ本当。
同じくエネルギーを発し続けるなら 「負」ではなく、「正」でありたい。(希望。)
あ~、でもね、困ったちゃんや、常識無しの人に”怒る”のは全然アリっ!!
怒った方が相手のためになるのはいくらでもあるしね???
(と、自分が母にき~!ってなるのを正当化してるかなぁ(^_^;))
「怨念」めいたものになるまで要らんエネルギーを使わないように気をつけようねっ!ってコトかな!(いいのか、こんなまとめで!?)
あぁ、またこんな時間(+_+)寝るぞぉ~・・・・(ホントか!?)
今日も読んで下さった方、ありがとうございます♪(^o^)/
おやすみなさ~い☆彡<(_ _)>
から引用したコトがありますが、
とても染みる言葉で綴られている本なので
図書館に返すその日までは(実はとっくに延滞申し込みをした~★)
自分でも憶えておきたいページを書き留めていきたいと思います。(^_^)
「今日、自分を少し変えてみる」 -宝彩 有菜・著-
人間関係から自由になるには、どうしたらいい?
-握りしめているものを手離せば相手も自由になりますが
何よりも自分が自由になります-
何かを「欲しい」と一旦思ったら、マインドは優秀ですから、
「まぁ、いぃかぁ」といい加減な妥協をしません。
「欲しい、欲しい」
とその思いを離さなくなります。
でも、結局その思いに捕まっているのは自分自身です。
思い切って放しましょう。
すると何よりも自分が自由になります。
同じように、誰かを「許せない」と一旦思ったら、
マインドは優秀ですから、
「まぁ、いぃかぁ」といい加減な妥協をしません。
「許せない、許せない」
とその思いを離さなくなります。
でも、結局その思いに捕まっているのは自分自身です。
許しましょう。
すると何よりも自分が自由になります。
私、これを超・体感、実感したんです。だからうなずける。
ウチの父母は銀婚式を終えてから(つまり熟年)離婚したのだけど、
めちゃめちゃ父親っ子だったはずの私が、
母から聞かされる父への恨みつらみ、愚痴にすっかり洗脳されて
一緒になって父を責めまくりました。
いくら父親っ子とは言っても、客観的に見て「父が母に苦労をかけている」
コトくらいは分っていたので、恩を仇で返すような父の裏切りは許せなかったというか。。。
「かわいさ余って憎さ百倍!」状態ですね。父親っ子だったからこそ・・・。
けれど、ある機会に恵まれて、
「父親にしてもらった事、逆に・自分が父親にしてあげた事」を振り返るに至り、
もんのすご~・・・く意識がひっくり返ったんです★
それはそれは深い親の愛を思い出せた、ってゆーか、気付かされた。
母と一緒になって恨む事で自分を支えていたと思っていたけど、
夫婦の問題は あくまで夫婦の問題であって、
生まれてからずっと・父が私に注いでくれていた愛情には何の関係も無い*
自分が思いだせるだけの「してもらった事」でさえこんなにあって、
見えないところも含めるとどんなに大事にしてもらっていたことか(T_T)
なのに、夫婦間が破綻したからと言って、母だけの肩をもって一緒に責め罵った。
恨まれて当然の父親だと信じて疑わなかった。
父はどんなに悲しかったでしょうね***
母に対しては”ひどい旦那”だったけれど、子煩悩な人だったし・・・
「確かに嫁さんにはひどい事ばかりしたけど、
かわいがっていた娘にもこんな目を向けられるのかー・・・」とか思わせたんだろうな×
そんな風に 違った角度からの見方に気付くと、
自分が父から「してもらった事(与えてもらっていた事)」に気付き、
恨み心がスー…っと氷解していった。長年の恨みだったのに、本当にスー…っと。
と同時に、自分を縛っていた鎖、重い重い鎖が「ガチャン!」と外れる感覚がした。
誰でもない、自分で作った「恨み心」で自分を縛っていた事にも気付いた。
ぞぉ~・・・っとした(>_<)
縛っていたものに気付いたからこそ解る事だけれど、
人を恨む思いとは、何と大きな負のエネルギーなんだ!?と!
開放されたからこそ、ラクになったからこそ それにも気付けるんです!
このまま気付かずにいたら 実の父親を恨んで恨んで、
それはそれは無駄なエネルギーを使い続けて自分を疲れさせるところだった・・・×
ほっんと~・・・に!ぞぉっとした!!
だから この本に書いてあった、この箇所も納得しまくりなのですよ。
「だって あっちが悪いんだから!私は正しいんだから!」と思っていたとしても、
やっぱり誰かを憎む心、恨む心は不毛なんだ。
その念は相手にも届いてしまうから もちろん相手に負担になり、
誰あろう、思いを発する自分自身をも傷つけ続けるのよね・・・正当化しようがしまいが。
恨み心で恨みは解けない、これ本当。
同じくエネルギーを発し続けるなら 「負」ではなく、「正」でありたい。(希望。)
あ~、でもね、困ったちゃんや、常識無しの人に”怒る”のは全然アリっ!!
怒った方が相手のためになるのはいくらでもあるしね???
(と、自分が母にき~!ってなるのを正当化してるかなぁ(^_^;))
「怨念」めいたものになるまで要らんエネルギーを使わないように気をつけようねっ!ってコトかな!(いいのか、こんなまとめで!?)
あぁ、またこんな時間(+_+)寝るぞぉ~・・・・(ホントか!?)
今日も読んで下さった方、ありがとうございます♪(^o^)/
おやすみなさ~い☆彡<(_ _)>
え~と、一応、本も出してるくらい本は好きなので、【読書】も開いてみました。最近は、相談で話を聞いているときに「執着」について考えることが少なくありません。
相手を愛するのも憎むのも、けっきょくは「執着」の強さとしては変わりなく、ただ向きが正反対なだけですよね。だから、憎んでいる間は、相手にとらわれている訳で、「まあ、いっか」という気持ちになれたら、とらわれから開放されて自由になる…というのを昨年の離婚で実感しました。
とらわれがなくなると、新しいことや人にも目が向くようになり、新しい出会いやチャレンジが可能になります。そんなことも実感できた一年でしたねぇ、去年は。
ただ、あまり執着をなくしすぎると、浮世離れしてしまって現実から浮いてしまいます。生きていくには、その辺りのバランスがとても難しいような気がします。
相手を愛するのも憎むのも、けっきょくは「執着」の強さとしては変わりなく、ただ向きが正反対なだけですよね。だから、憎んでいる間は、相手にとらわれている訳で、「まあ、いっか」という気持ちになれたら、とらわれから開放されて自由になる…というのを昨年の離婚で実感しました。
とらわれがなくなると、新しいことや人にも目が向くようになり、新しい出会いやチャレンジが可能になります。そんなことも実感できた一年でしたねぇ、去年は。
ただ、あまり執着をなくしすぎると、浮世離れしてしまって現実から浮いてしまいます。生きていくには、その辺りのバランスがとても難しいような気がします。
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Commented
by
cocoroske at 2007-02-25 23:52
★TACさま★
わぁ!!こんな前の記事も読んで下さったのですね\(◎o◎)/!
重ね重ね・ありがとぅございます(^-^ )
>生きていくには、その辺りのバランスがとても難しいような気がします。
何事においてもバランスを取るのが下手っぴぃな私です(>_<)
ココでみなさまに元気を頂いていますっ!!
>え~と、一応、本も出してるくらい本は好きなので
す、すごいですねぇっっっ!!
うわぁ…尊敬っ★
ご覧の通り・最近はブログ更新も危ういくらいのへろへろな毎日で、読書どころかみなさまのブログも読み逃げ状態です。。。
が、今度・TACさんのブログもお邪魔させて下さい!m(__)m
本当にうれしく思います♪ありがとうございます♪
わぁ!!こんな前の記事も読んで下さったのですね\(◎o◎)/!
重ね重ね・ありがとぅございます(^-^ )
>生きていくには、その辺りのバランスがとても難しいような気がします。
何事においてもバランスを取るのが下手っぴぃな私です(>_<)
ココでみなさまに元気を頂いていますっ!!
>え~と、一応、本も出してるくらい本は好きなので
す、すごいですねぇっっっ!!
うわぁ…尊敬っ★
ご覧の通り・最近はブログ更新も危ういくらいのへろへろな毎日で、読書どころかみなさまのブログも読み逃げ状態です。。。
が、今度・TACさんのブログもお邪魔させて下さい!m(__)m
本当にうれしく思います♪ありがとうございます♪
morning, cocoroske-sama.
>恨み心がスー…っと氷解していった。長年の恨みだったのに、本当にスー…っと。
よかったです。
>誰でもない、自分で作った「恨み心」で自分を縛っていた事にも気付いた。
自縛ですね。
私もよくこうなります。
>人を恨む思いとは、何と大きな負のエネルギーなんだ!?と!
>開放されたからこそ、ラクになったからこそ それにも気付けるんです!
でしょうね。
私もそうなりたいです。
>今日も読んで下さった方、ありがとうございます♪(^o^)/
素晴しい記事、どうもありがとうございました。
>恨み心がスー…っと氷解していった。長年の恨みだったのに、本当にスー…っと。
よかったです。
>誰でもない、自分で作った「恨み心」で自分を縛っていた事にも気付いた。
自縛ですね。
私もよくこうなります。
>人を恨む思いとは、何と大きな負のエネルギーなんだ!?と!
>開放されたからこそ、ラクになったからこそ それにも気付けるんです!
でしょうね。
私もそうなりたいです。
>今日も読んで下さった方、ありがとうございます♪(^o^)/
素晴しい記事、どうもありがとうございました。
Commented
by
cocoroske at 2010-08-29 01:03
by cocoroske
| 2006-08-11 23:58
| 読書
|
Comments(4)